「第一部・完」的な結論

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恋愛関係は、ほんっと、「内面が最高に幸せで感謝いっぱい」→「幸せが現象化」が起こりつづけてる(まだまだ、現象化に遠慮している自分も感じるけど)

だが・・・

仕事でエゴまみれ

前回から書いてたように、問題は「仕事面」

で、あらためて冷静に振り返ってみたんだけど、

自分の場合「お客様の将来的な不安を予測して対処する」のが仕事なので、どうしても仕事中は「エゴ」全開になる。

過去記事では「結局、よくわからんくなった」って結論に達してた、ブルーベリーさんの記事、最近なんだかわかるようになった気がして、読み返していたんだけど、

願望実現にうまくいく方法もうまくいかない原因もない

こうしたらうまくいくはうまくいかせたくないんだよ(原因がある前提)

チケットに書いてある通りなんだ

○○したから願望実現したも ○○したから別の領域わかった もないんだよ

もともと実現してるから。

だから既にあるなんだよ

「自分が完璧だから原因は存在しない」うまくいかない原因なんてない ーブルーベリー : Without the Mind

うんうん。わかるわかる。でも、プライベートでは、それを採用できても、仕事だとそれができない。

お客さんに「こうしたらうまくいく」って伝えるのが仕事なんだから、そんなこと言えない笑

そういう思考中心でこれまで生きてきたんだから、自分の人生全体がそういうふうになってきたのも、仕方がない。

イメージング

本願と比較できるからわかりやすいんだけど、仕事とか会社に対しては、「イメージング」してなかったんだよなぁ・・・って思って。

「イメージングって大事だよなぁ」とあらためて感じていた時に、昔なんかの本で読んだぞ・・・と気になってた文章があって、やっと見つけた。

多くの人の最大の問題は、理想の状態をイメージしていないことなんだ。君がやらなければならない最初のことは、自分の望む人生をイメージすることだ。

ユダヤ人大富豪の教え(本田健)

別の領域の「なんとなく幸せ」って、やっぱり、「なんとなく幸せ」が続くだけだと思う(もちろん幸せなら悪くないんだけど)

悟り系達人さんからは、ピンポイント、特定の願望って、悪く言われがちだけど、

自分にとって、一番幸せに感じられることをイメージするのが、なぜにダメなんだ?

と、あらためて思う。

達人という名の他人に自分の意図を捻じ曲げられていたようで、ほんとバカバカしい。ぜんぜん、自分を愛してない。

♪ほんとの自愛教えてよ

壊れかけのradio・・・的な感じなんですが、もう一つ、自分の足枷になってた達人さんの概念に気づいてたこともあって、前々回の「自愛の極致」の記事を、修正しました。

それは「受け入れるという自愛」

仕事は、ネガティブなことが起こる事を、受け入れてた。

「仕事だからしゃーない」みたいな観念が絶対的にあった。本願だけうまくいけばいい、みたいな思いもあった。

だから、「しゃーない」で我慢しなきゃいけない現象化が、連発していた。

そんな現実を支えていたのは、よく引用してた記事、

本当に愛するってことは「存在することをただ認める、許す」ということです。
もうなにもしないということです。

「ID:q1RQB5MM0」 01 あなたの存在は愛そのもの。全ての存在は等価です。 | ザ・チケット板☆備忘録

いやいやいや!!

こんなこと、自分にとっては、自愛でもなんでもなかった。

いやなものは嫌だし、したいことはしたい!

他人に「何がほんとの愛か?」なんて、決められたくねえや。

なので、この記事部分をまるっと削除しました。なんでこんな記事大事に抱え込んでたんだろう・・・謎でしかない。

メソッド的にまとめれば

ほんとに、安心してれば、よかったんだ。

完璧に浸っていればよかったんだ。

エゴがいてもいい

エゴはいてもいいから、ネガティブより、たのしいことを考えよう

エゴに関わらないことが、自分を愛すること、なんだ

未来に幸せを求めないで、いま心から楽しめることを「やる!」

なんてことをやっているうちに、言葉にならなかった感覚が、ついに・・・

やっとわかった

自分にとっての「別の領域」とか「自愛」とか「潜在意識活用」って、ほんんっっと、一言でいえば、

子供時代に戻る

って、ただそれだけなんだ。

子供のころは、

・自分をありのままに愛そう

・別の領域、完璧に浸っていよう

安心していればいい

な~んて、一切おもわない(あたりまえ笑)

そもそも、愛しかない。安心しかない。完璧しかない。

未来も過去もない。つねに「いま」

ネガティブな気持ちをどうしよう?よりも、楽しいこと、嬉しいことばかりに目が向いていた。

罪悪感もなく、自分にとって、一番嬉しいことしか考えてなかった。

固定化された「現実」も、イメージの区別もない。

だから、やりたいこと、こうなったらいいな、って空想はよくしてたよなぁ~

いや、空想という概念もなく、叶う叶わないの概念もなく、ただ、その時を楽しんでた。

「わくわく」や「だいすき」って気持ちだけで突っ走ってたなぁ

いろんな知識を吸収して、「ない!」っていうエゴが肥大化する前の、純粋な意志といったらいいのか。

「もっとこうなったらいいな♪」って、ただ思ってただけ。

そんなときに、

「こうなったらいいな、ってことは、現実でエゴが不足を感じてるって事だから、不足からは叶わない」

なんて、めんどくさいこと考えない笑。子供はそんなこと思いもしない。そんな概念すらない。

いっぽうで、子供の頃は何か願いがあっても「絶対そうならなきゃダメ」ってずっと執着していることはなかった・・と思う。楽しいことが他にもいっぱいあるから、忘れてる、ってほうが近いけど。

そう思うと、子供の頃は、まさに別の領域そのもの、だったんだろうな~

エゴなんかいない。

小学校ぐらいまでの感覚かな~。なんだか、じんわりと思い出してきた。

「やらなければいけない」メソッドから解放されて、かるくなった感覚。

「意識がほんとうの自分」、なんかじゃなくて、エゴに汚染される前の自分が、ほんとうの自分。「そのままの自分で完璧だったんだ」ってのは、エゴ塗れになる前の自分。

そんな心境に、「既にある」や「自分=世界」の概念が加わったら・・・もうこの先は楽しみでしかない。

自愛道 第二部・・?

「探求」としては、もう当面書くことがなさそうなんだけど、文章書くのはすきなので、とりあえず書きたい事あったら、また書きます。

たのしいことをやっていきたい。

tonpei

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