エゴとの同一化

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要は、「エゴとの同一化」から離れること

これっが、ほんっとに、できなかった

エゴ=ネガティブな思考感情だけではなく、よっしーさんのいう「五感も含めて、全部エゴ」は、「スクリーンの意識」にはいりやすい

「スクリーンの意識」を感じていると、自然におだやかな愛の感覚になってくる

それが、「いま」にいる、ことでもあるし。

自分(=意識)は、空間全部であり、映し出しているもの

エゴは、映し出されているもの

本来、すべてである”意識”が、「私」(個人)というちっぽけな存在(幻想)に同一化することで、本来必要ない多くのプロセスを「個人の人生」として体験しているというだけです。

実際は、「私」も他人も世界も”意識”自らが映し出している幻想であり、実態の無いものです。ただ、この幻想があまりにもリアルであるため、「私」になりきった”意識”は、これが幻想だということと、自分が創り出していることを忘れているのです。

忘れてしまっているだけですから、ちょっとしたきっかけさえあれば、一瞬にして思い出せます。

最初から”意識”であって、それ以外であったことなど一度もありませんし、”意識”以外のものなど存在していませんから。

すべての勘違いの原因が、「私」(個人)が生きている という大前提です。それにただ”気づき”さえすれば、「私」に関連するすべてのストーリーが幻想であり、自分(意識)が創り出していたことに気づきます。

私たちの本質である”意識”は、淡々と映画を撮り続け、自ら鑑賞している存在です。「私」と同一化していたとしても、「私」にとってつじつまが合うようなストーリーを淡々と創り出しています。

ですから、何者かになろうとしたり、何かを渇望する必要はなく、ただ自分が最初から”意識”であったことを受け入れるしかないのです。受け入れるというか、もともとそうであって、それ以外ではなかったのですから、受け入れる必要もないんですが・・・・・ただ「個人」に同一化していることに気づくだけなんです。気づくというと短くてもプロセスがあるように思えますが、プロセスなんかなく、ただそうであるです。言葉で言い表すのは難しいですが。

”意識”=”すべて”であって、気づく側でもあるし、気づかれる側でもあります。「個人の人生」は、”すべて”の中の一つのストーリーとして”気づかれた側”であるということです。

とにかくそのままでいいのです。そのままで、ただ楽しめばいいのです。私に言われたからそうするのではなく、自然と楽しもうとしてしまうはずなんです。

ですから、「私」(個人)に同一化していたことだけ、受け入れてみてください。

”(エリック358)のブログの文章によって、「私」(個人)に同一化していたことを思い出した”というストーリーを自ら創り出したと捉えてください。

ただ、「個人」の理解も、結局は映画の中のストーリーです。ストーリーはストーリーであって、それ以上でもそれ以下でもなく、”気づき”のための必要条件ということでもありません。

すべては自分(意識)の中で巻き起こっているストーリーです。

”意識”=すべてなのですから、何者かになる必要もなく、外側から何かを得る必要もありません。

そのままでいること以外できないのが、私たちの本質である”意識”です。

そのままでいい(別のものになりようがない) | 「人生設定」 Game of Life

潜在意識の非活用

過去の記憶の自動再生は、むしろ「潜在意識」からやってくる、と思うほうが自然で、

潜在意識から勝手に出てくる、エゴの習慣だから、自由意志はない

勝手に、湧いてくるというか。ただの習慣。記憶の再生

自分が、スクリーンの意識にいられる時には、むしろそれは

「浮かび上がる」

といった体で認識されるもの

コントロールできないもの。

実現を拒否している

この記事でも書いたけど、アクセルとブレーキがあると思っていて、

ブレーキが強いというか。

実現する力も、実現を拒否する力も強いというか。

「認識の変更がわかりそうでわからない」を実現している気がする

まさに237さんがおっしゃる通り

■「エゴをスルー」(ぼーっとする、瞑想、自己観察、思考を止める、今今メソッド)

■「充足を見る」(快ならうまくいく、今幸せになる、叶った自分になる、自愛、肯定のアファ、感謝)

が超大事です。
「個」としての自分ができる取り組みはこれ2つだけと言ってもいいです。

こっぱみじん04 実は世界は自分に対して超甘く、超イージーモードなんですよ。 | 潜在意識 珠玉のレスファイル集

「エゴとの同一化具合」

だから、願望に対する何か実践をするのではなく、願望とは関係なく、普段から、エゴと距離を置いておくのが大事なんだよなあ、と最近思ったりする。

過去を悔やんだり、未来に期待したり、他人と比較したり、現実を自分のものとして受け入れられないのがエゴです。世界は自分とは切り離されていて、現実を変えるには実際に行動して外側に働きかけるという手段しか無いと思い込んでいるのがエゴです。

エゴは、この世で”人生”を生きる上でのアバターのようなものです。つまり仮の自分です。確かに世界を見る”視点”はエゴ(アバター)のものですが、私そのものではないということです。
エゴというアバターは世界に対してリアクションし、自分自身や世界に対して判断を下し勝手に価値を決めてしまいますが、エゴ自体もその判断も幻想です。絶対的なものではなく、選択の一つを知らぬ間にしているということです。エゴの視点しか持ち合わせていないと、選択肢が大幅に狭まってしまうのです。

「ある」と「ない」はワンセット ”既にある” コインの表裏
意図は意図 リモコンのボタンを押すのに力はいらない

でもエゴを何とか変えようとする必要はありません。私そのものではないということを認めるだけでいいんです。現実にリアクションするだけのエゴ、過去から影響されるエゴ、未来を心配するエゴ・・・・そんなエゴと一体化することだけをやめればいいのです。

エゴを子供のように見守る

一体化さえやめれば、エゴに影響されることが無くなります。不安になっても”不安だね”、心配していれば”心配しているね”と子供のように扱ってください。否定したり、消そうとする必要はありません。ただ認めるだけです。 エゴの思考や感情を受け止められるのが、”本当の私”です。その本当の私は常に”今ここ”にいてエゴの”人生”を見守ることができます。一体化さえやめればです。

エゴの理解について 親・子の関係 | 「人生設定」 Game of Life<

別の表現をすれば、「現実に捉われやすい」

叶ってない こんなことが起きた
そう思ってしまうのは、現実を見て答え合わせをしているからですよね

もちろん望まない現実が目に入ったら気になるし、反応はあります

でもそれは嫌、望まない、見たくないってだけであり
そちらを起点にして諦めたり、どうにかしようとする必要はないのです

現実で答え合わせをしない限り、叶った私でいられる | ☆今は過去だ☆

ここまで書いておいてなんだけど

またこの記事をひっくり返しそうな気付きが・・・

いや、というか、また別の角度からの気づきかな。

同じことを、何度も何度も、違う方向から、異なる深さで気づいていくことによって、「慣れていく」だけってことかな。

というか、次回書きます。

tonpei

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