すべては私のハッピーのために

あけましておめでとうございます。
2023年のいろんな気付きの総まとめ。今回は、あえて、自分のオリジナルな解釈で書きます。

達人がたどり着いた「真実」ではなく、「結果を出す」ための自愛。個人的にいろいろ用語の整理をしながら書いていきます。

ちなみに、去年の紅白、かなりよかったです!今回のタイトルはポケビの歌詞からとったつもりが、実は歌詞が違ってましたけど、まぁ、よし。

エゴ

 これまで生きてきた自分自身だと思っているもの。狭義の意味では、自分の幸せにとって必要ない思考。記憶。エゴまみれ=不快・不足・不幸の思考まみれ、みたいなニュアンス。

認識の変更とは?

 これまで生きてきた「自分」が、ほんとうの自分ではなかったことに気づくこと。その延長線上で、「自分=世界だった」って気づきとか、「自分=愛・幸せ」だったんだって気づきが起こった状態。

あと、付随して

・自分ひとりだけの世界

・既にある

がわかったような状態

映写機とスクリーン

よく潜在意識界隈で出てくる「映写機」のたとえ、それを「スクリーン=意識(認識)」と「映写機=源泉」とわけるのが、いまの自分は一番、感覚的にとらえやすいので、そうしてます。

意識(スクリーン)

 意識というか、「認識」が近い。世界を認識しているもの。意識のそのものを感じようとすると、安心感とか、静かな感覚として感じられる。エゴが薄くなって、個人としての人間が薄くなり、意識の感覚が強くなると、「自分=世界」を感じられる。

この「意識」・・・「世界のすべて、内面のすべては自分が認識しているもの」と気づいただけで、全部現象化がうまくいく人もいるんだろうけど、自分の場合は、これまでの「現実ガン見」度が強すぎて、次の「源泉」とセットじゃないとダメだった。

現実を映し出す、スクリーンとしての意識は、ほおっておくと、現実をそのまま見て、垂れ流される思考をそのまま受け取って、これまで通りの認識で、同じ現実を映し続ける。それに対して、次の映写機の意識が加わることで、内面の幸せが、現実に投射される、というロジック。

源泉(映写機)

 「意識」の感覚よりも、もうちょっとわかりやすい「あったかく」「しあわせ」って感覚。個人的には、多少エゴが騒いでいるぐらいだったら、ハートチャクラの中心あたりに、いつもそれを感じられる。

自分にとっての「認識の変更」って、この「あったかなしあわせ」感覚が、自分の本質だって、気づけたこと。

ただ、エゴまみれになっているときは、なんにもないように感じられる。ノイズがうるさすぎて、しあわせが聞こえない状態。

まぁ、これって、べつに精神世界じゃなくても、将来の不安や過去への後悔で頭がいっぱいになっているときって、「しあわせ」って感じられませんよね、ってこと。幸せって感じるものだから、頭に血が登ってたら、そりゃ感じられませんよね、ってこと。

別の観点で言えば、エゴが願望実現したら得られると思っているのこの内側の「しあわせ」感じられるだと思う。108さんの言葉で言えば、「実像」

既にある

 エゴ(思考)が薄くなっている時に、「源泉」からの実像の感触を、現実と同レベルで「既にある」「もう叶ってる」と感じられる。エゴが分厚い(思考優位)なときに、既にあるを感じるのは、無理。掲示板とかで「既にある」がわからん論争をしているのは、感覚でとらえる人と、思考でしか理解していない人の差だと思ってます。

現象化

 「意識」の状態(いわゆる、「立場」)で、「私はお金持ち」「私は◯◯さんの彼氏」って決めて、そのまま現象化できちゃうのが、「なる」的な現象化。自分もストレートにいけるときはこっちだけど、頭だけで決めたことは、だいたいエゴに妨害されて、却下しちゃう。

 一方の自分の現象化の方法は、イメージング中心でやってたこともあり、「源泉」の幸せであったかい感覚=すべて叶っている感覚、を積極的に捉えにいって、「直接的な現象化の認識」よりも、「その現象化が発生したときの幸せ感」を先取りすることによって、内面から現象させるやり方。こっちのほうが、エゴの思考の介入を受けにくい。

自愛

 「源泉」がエゴに覆われると、愛のあったかさが感じられなくなってしまう。
そんなときは、「ふうせん自愛」。自分の体全体、部屋全体、街全体、世界全体が風船の中で、愛でいっぱいのイメージをする。壊滅的に破壊的不幸思考が出てくる時は、とにかくとにかく、風船を大きく広げて、愛で包み込む。

自分の場合は、「大丈夫だよ~」とか、声をかける自愛は、いつの間にかエゴにすり替わるので、NG。おっきな空間に抱きしめられているイメージが、一番エゴがおとなしくなる。

自分の場合、自愛が足りない時は、とにかく頭の中で、思考があれこれしゃべってる。自分のエゴが一番もとめているのは「安心感」。だから、言葉以外の方法で、エゴを安心させてあげるのが、自分にとっては、一番の自愛になっている。

まぁ、ほんと、自愛は、いちばん自分にあったものを。

実践編

いろいろ書いたけど、ほんとにうまくいっている時、本来の自分であるときは、これらのすべてが連動してる。 「源泉」からの愛、ホカホカする感覚を、意識が感じ取って、その意識がまた、「源泉」からの感覚を強化して、愛やしあわせをより強く感じられるようになって・・・という、幸せの無限ループみたいのが発生する。そうなると、ほんとうに、なんでも叶っているし、なんにもいらなくなる、現象化もどうでもよくなる。現実に不足を見ずに、内面でしあわせが完結しているから、それがそのまま現実として映し出される。ほんとうに、シンプルなロジック。

だから、これが逆になってしまったとき・・・キツイ現実をみて、それに囚われて、「源泉」が感じられなくなって、そこからあわてたエゴが「思考全開」でこの「現実」から逃れる方法を必死で探し出すのが、よくある負のループパターン。現実から逃れようとする時点で、「不都合な現実」と認識しているので、行動すればするほど、現実は悪化する。

だから、エゴをストップせねばならなくて、そのための、自愛。

自分でも、源泉の幸せを感じた時に、現実の現象化がどうでもよくなるほど、最高の幸せ感に包まれることがある。内面で完結して、現実がどうでもよくなる、という達人さんがいるのも、そういうことかと。

本来は「無条件」、だとはおもう。

 もちろん、こんなことやらなくても、癒やされなくても、叶うものは叶う!でいけちゃうのが、達人の領域だと思うけど、やっぱりまだ、自分はエゴに影響されることが大きいし、なにより、エゴに苛まれている状態が現象化とは関係なく辛いので、「自愛」を推奨してます。

エゴをスルーするより、「愛をみる」という行動をするほうが、自分にとっては楽、って意味ね。基本、思考が強いので、ほおっておくと、どんどんエゴ思考は雪だるま式に大きくなるので、エゴをそのままにできないんだよな。だから、「安心」させてあげる。「自由意志はない」「何もすることはない」というのが真理だとも思うけど、自分を楽にするために、ここは許容してる。

ただ、自愛も願望実現も、究極行き着くところは、この「やさしい神様」だと思う・・・というのが2023年の結論でした。意識、源泉が、完璧に揃っている時って、自分自身が「やさしい神様」になっているのが感じられます。無敵モード、ですね。

願望を実現させたい、夢を叶えたい・・・と思う時、本来あなたの本質である”意識”としての「意図」だけで十分なのですが、自分の”意識”としての本質をすぐに受け入れられないなら、”神頼み”から入るのもいいかもしれません。(これは「する」ことかもしれませんが、あなたの本質への気づきに直結するものですので、ここで紹介します。)

これは自分でなんとかすることを諦め、すべてを神に委ねる ということです。

神頼みをする時の、頼む対象である”神様”は、

なんとも穏やかで、優しく、あなた個人の過去の努力も知っており、罪を犯したこと、罪を悔やんでいること、自分自身が嫌いなこと、自分の運命を悲観していることなど、あなたの気持ちを誰よりも分かっており、あなたの奥底にある気持ちもすべて汲んでくれて、その上で、すべてを受け入れ、許してくれ、願望を叶えてくれる神様です。

神頼み・・優しい神様 | 「人生設定」 Game of Life

 

tonpei

10件のフィードバック

  1. とんぺいさん

    あけましておめでとうございます☺️

    とんぺいさんの言語化と体験、抜粋まとめなど、しっくりくるもの、気付きになるものでいっぱいでした♪
    凄くありがたいです。

    今年もよろしくお願いします🙏

    充足まみれの年にしましょー笑

    • >みーさん
       新年早々、諸々ありがとうございます。
      「充足まみれの年」いいですね~
      お互いまた、気づきを共有しあって、最高の1年にしましょうね
      仲間も増えるといいな

  2. tonpei様
    はじめまして(だと思いマス…)
    ななこさんの所から来ました。以後お見知りおき願います。
    新年早々ですが、今日は時間があるのでお礼かたがたコメントいたします。
    私のコメントを取り上げて下さりありがとうございました。もし、同じような悩みを抱えた方の役に少しでも立つのであれば、うれしい限りです。。。

    こちらのブログのタイトル「自愛道」、これが素晴らしいです。そのとおり、これは<道>にほかなりません。この素晴らしい道を歩むtonpei様はじめ他の皆さんもやはり素晴らしいと思います。自愛の最終目的は、すべてを包み込む「やさしい神様」に人類の多くがなることだと思っています。ただし、この幻想世界で生きていくか、それともより源泉に近づいていくか、という選択もあるでしょう(源泉自体はキョーレツすぎてちょっと触れるだけでも大変ですし、その道を選ぶと人間としての生活を捨てることになりますから。)・・・テーマから話がそれてしまいました。

    ・・・取り上げていただいた内容の補足的なお話で、過去にも同じ内容を書いた記憶がありますが、改めて申し上げたいことがあります。
    それは、
    「幸せは楽園の付属物である」
    ということです。
    なぜ今すぐにでも願いがかなわないのか…この答えは、ズバリ「今の状態でかなったとしても、その幸せを保持できないし、それは苦しみに変わっていってしまうから」です。
    そうでなくても、「今すぐ楽して幸せが欲しい!」という、優しい神様でもちょっと引いてしまうような(笑)願望ばっかりですからねー。それじゃ人間として今を生きている意味が全然ないじゃん、となることをまずはちょっとだけでも理解しませんとね。
    これは、高額の宝くじが当たった人は決まって末路が悲惨という話に似ていると思いますが、別に懲罰的なことでもお説教でもなく、事実なんですよね。。。

    (余談ですが、今すぐに望みどおりの物をぱっと出す魔法のランプ的な手法もなことはないです。。。が、これは古来より禁忌として封印されてきていますし、やはり案の上お約束的な破滅的末路を迎えます。一時的な結果を得るためにその後のすべてを犠牲にすることになる、文字通りの悪魔との契約ですね。)

    というわけで、今年も貴ブログとtonpei様、皆様の益々のご発展をお祈り申し上げます。
    完璧です。

    • >しゅーさん

       はじめまして!
      というか、以前「通りすがり」というHNでコメントしてくれた方がいらっしゃったんですが、しゅーさんとは別の方だったんですね。失礼いたしました。

      ななこさんのところのコメントを拝見する限り、しゅーさんは、もう、願望実現を通り越した、まさに「潜在意識の達人」という印象をもっていました。そのため、ななこさんのところで、いいな~というコメントを見つけても、なんだか、自分のブログでは高尚すぎるような気がしてしまいまして。

      今回、(勝手に)引用させてもらったのは、どちらかというと前半部分の「苦しまなきゃ」「幸せになっちゃいけないんだ」という思い込みをななこさんにご指摘されていた部分に触発されたのが大きく、あらためて「今すぐ幸せを許可する」という自愛の姿勢が大事だと思った次第です。

      しゅーさんが今回書いてくださった、「今すぐ楽して幸せが欲しい!」「それじゃ人間として今を生きている意味が全然ないじゃん」という部分とは、矛盾が出てくる部分もあるかと思うのですが、そのあたりは、個々に自分の内面と向き合っていくしかないのかな、と思っております。

      貴重なコメント、どうもありがとうございました!

      • >矛盾が出てくる部分もあるかと思うのですが
        すみません、言葉が足りなかったです。

        探し求めている人、これまでやりつくしてきた人、「道」の途上にある人にとっては、すでに準備ができている場合、すぐにでも許可することができるでしょう。準備とは、世界に対して許可権限を有しているかどうか、という感じです。許可とは、法に基づき、許可権を有すると規定される者が法の規定に則り処分するものです。万人がその法を認知していなくてはなりません。例えるなら、いわば、あなたの世界が「法治国家」でなくてはならないわけです。

        もう一つのパターンとして、人生にしっかり向き合い、地に足をつけ良心に従って生きている人、いわば一般ピーポーです。この人たちは、自分に必要なものはわきまえていますので、神様に向かって「幸せを今すぐ自宅まで届けろ」なんていう図々しく厚かましいお願いはしないはずです。最短コースではありませんが、いづれ自らに見合った充足を見出すでしょう、というか既にそれなりに社会的、家庭的に成功・充実しているはずです。

        「それじゃ・・・」の件は、そもそも探し求めていない人、何ら努力もしていないくせに要求だけは多い人、地に足をつけて生きていない、不平不満の塊のような人、これらいくら優しい神様でも「なあお前・・・」とドン引きしてしまうような輩に対してのことです。
        残念ながら、この業界はそういう輩が一定数います。サイトによっては、こういった浮ついた感じが多いところもありますよね?
        こちらはタイトルどおり<自愛道>が掲げられいるお陰で、そういった類の人種は少ないでしょうけど、「優しい神様」について誤解してほしくないので、あえて書いた次第です。
        tonpei様が書かれる親しみやすい記事が、こういった人に気づきのキッカケをもたらしてくれるのではないかと大変期待できるところです。

        Game of Lifeのサイトは、私も過去大変お世話になりました。ただ、表現の仕方は試行錯誤中だったようで、初期のころは「あなたがゲームマスターなんだから設定変更を意図しなさい、ハイ終わり」みたいな感じでとっつきにくかったところ、最後の方で、今回引用されている「優しい神様」という表現に進化していった感じで、今でもその内容のすばらしさは色あせていないと思います。

        • >しゅーさん
           ご丁寧に補足ありがとうございます。
          なるほど、人によって、違うわけですね。たしかに、掲示板やブログによって、雰囲気は違いますもんね。

          しゅーさんのように、全体像を見極められる人でないと、判断は難しいのかもしれませんが、自分の場合も現実的努力・スピ的努力?あれこれやり尽くしたのに、「なんでうまくいかないんだろう?」というところで散々さまよい今にいたります。しゅーさんのいう「地に足をつけ良心に従って」きたつもりなのに、報われた感もなく、一方で、「何ら努力もしていない(ようにみえる)人」が、自分が臨んでも得られない幸せを謳歌しているのを見てきて、

          なので、もうあとは、「神頼み」しかなく、「やさしい神様」が刺さったのだと思ってます。

          たしかに、Game of Lifeさんは、私も知った当初はどうしていいかわかりませんでしたが、しゅーさんもお世話になっていたとは驚きでした。

          まだ道の途中の自分の記事でも、誰かの気づきのきっかけになったら嬉しいですね。

      • あと、「過去と現在は幻想」については、私も全く同感です。
        もっと言えば、<未来>もそうでしょう。すくなくとも「過去と未来」は、その人の頭の中、記憶の中、思考の中にしか存在しない<思い込みの世界>ですので、そこに囚われるのは、もうこれまた思うつぼですよね。

        一方、<現在>についていえば、これも広義では幻想ですけど、強いて言えばリアルな幻想とでも言いましょうか、そこが自分の生きているフィールドですので、これを切り捨てることは、人間としての自分自身を切り捨てることとなるかと思います。
        これは究極の姿、道ではありますが、私自身は生を謳歌することに重心があります(というかそういう選択をしている)ので、まだ寒山と十徳のようにはなれない(なりたくない(笑))ですね。

        • >しゅーさん
           「過去と未来が思考の中」というのは、だいぶ実感としてわかるようになりました。
          究極の姿は、やっぱり「悟り」の道なんでしょうね。一時期自分も人生が辛すぎて絶望していたときは、その手の内容ばかり追い求めて、覚者と呼ばれる方にもお会いしましたが、自分はその道ではなかったのでしょう。

          とはいえ、もうこれまでの半生のような苦労ばかりの人生はうんざりなので、心からしあわせを感じれる人生を過ごせるよう、ブログも続けていきたいと思ってます。

  3. とんぺいさん

    あけましておめでとうございます。
    昨年はとんぺいさんの記事のおかげでいろいろ繋がりました。

    しゅーさんのコメントもこうして改めて読ませていただき、大切なことを沢山教えていただいているということ、とんぺいさんやみーさんと言うお仲間がいてくれることが、どんなに幸せなことか実感しています。

    これまでスルーしてきた既に与えられているものをちゃんと受け止めていきますね。

    私にも自愛は必要だと感じつつ、なかなか自分に合った自愛がわからないのですが、やはり行き着く先は自分が優しい神様になることなのだと思いました。

    今年もみんなで認識変更しようぜ!な気持ちで一緒に進んでいきたいです。
    どうぞよろしくお願いします!

    • >ななこさん
       あけましておめでとうございます!

      記事がお役に立てたなら何よりですし、ななこさんとの交流自体が、とってもありがたく思っています。

      自愛もほんと、ギリギリのギリまで、自分もわからなかったですもん。こればっかりは、ご自身の感覚しかないですよね。

      個人的に、優しい神様で好きなところは、願望実現よりも、

      「あなた個人の過去の努力も知っており、罪を犯したこと、罪を悔やんでいること、自分自身が嫌いなこと、自分の運命を悲観していることなど、あなたの気持ちを誰よりも分かっており、あなたの奥底にある気持ちもすべて汲んでくれて、その上で、すべてを受け入れ、許してくれ」

      っていう部分で、ここが何度読んでも安心できるんですけど、

      ななこさんの気持ち、奥底にある気持ちまで汲んでくれるのは、ななこさんご自身しかいないですもんね。こちらも、いい実践方法が見つかるといいですね。

      「充足まみれ」というのが、今年みーさんが掲げてくれたテーマです。
      みんなで恋愛以外にも実現していきましょ!
      今年もよろしくおねがいしますね

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