認識の変更は、たのしい

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現実的な変化と、自分の体感的な認識が重なりつつ、一方で、過去の知識も、いろんなことが、つながってきているところ。どんどん納得感も出てきている。
自分の過去のブログにも、けっこういいこと書いてある(笑)

だから、振り返りをするのが楽しい。

半年ぐらい前からの過去のノートを処分していたんだけど、ほんとエゴエゴだった。でも、当時、めっちゃ辛かった、きつかった、しんどかった気持ちは、すげーよくわかる

よくここまでこれたな~って思う。

というわけで、改めて自分の中の整理をして、言葉を書き出してみる。

「既にある」

ほんとこれだけ

突然認識が変わりました。
今まで 「 手に入れるモノ 」「 叶えるモノ 」 って前提でメソッドをしたりあれこれしていた。
で、叶ったり叶わなかったり。
でも 「 既にある 」 って前提だと手に入れる必要なんてない。
既にあるのだから全部関係ない。
本当に最初から全部叶ってる。

それが何故か突然しっくりきました。
今まで全然しっくりこなかったのに。
思い切ってエゴとか現実を無視し続けたからか、本当に突然。

そしたら全部叶いました

まだエゴ自体は存在しますが、全部既にあるんだから関係無いよなーと落ち着いていられます。

卒業スレ: 既にあるのだから全部関係ない、本当に最初から全部叶ってる | 潜在意識の達人語録

さすが、卒業スレだけあって、これに尽きるんだとおもう。

あと、「本願」に集中しすぎていたせいで、まだほかの分野はエゴエゴだったりすることに気づいた。完璧なんだから、どんな分野だって「望む現実は既にある」なんだけど、まだまだ、忘れちゃうなぁ。

さきこさんの本で言っていることも同じだ

「内側の」真ん中の一点から見る。
自分の中の「どう在りたいか」だけを定めて、そこから見れば、全てが同じ。

「幸せである」と決めたら、何を選んでも、何をしても、幸せに行きつく。

お金の神様に可愛がられる 「人づき合い」の魔法

求めているものが内側にすべてあるから、外側(=エゴの反応)がどうでもいい

内側の幸せ感じよう、っていうのは、ソースとのつながり

すべてが実現していて、完璧だ。

それを感じられるのは、「今」しかない

心の中の自分は、豊かな自分しかありえない

内側の愛にあふれていると、現実の受け止め方が変わる

「ない」に対してアプローチしている

★直接的に、「現実」を変えようとしてしまっていた。

ない!世界で、何をやっても、ダメ

うまくいかないことばっかり見ていた

問題解決ばかりになっていた

エゴの中でわちゃわちゃやっていただけというか・・・

ずっと「不足前提」の立ち位置から、何かやろうとしていた。

「ない」からの行動になっているのがよくわかる。

満たされた意識からの行動にはなっていない

でも、「既にある」が認識できるようになるまでは、それも仕方ないんだよなぁ・・

あと、そもそもそういう前提で何十年と生きてきたわけだし、逆に、これまで、特にチケット的世界観を知ってから、どんだけ不足の意図をしてきたかは、よくわかるので・・・自作自演だったなぁ、と。だから、不足の意図が出なくなるだけでも、めちゃくちゃ人生は楽になると思うんだけど。

反面、これは良い記事。

「ある」=真実の自分(在る)だから、願望は、本当の自分を指し示すナビゲーション

愛・一体感=充足感

分離・怖れ=思考

自愛も入れてみる

エゴも、ただただ、愛されたかった。
安心したかった

・もうがんばらなくていいよ

・責めなくていいよ

慣れ

「既にある」を忘れて、半日以上、エゴエゴモードになっているときもある。

実践のためにも、「ある」を感じ続けたいんだけど(完全に自己観察さんの流れになってきたな)、まぁ、思い出せばいいか。

自分=世界の体感

「既にある」は、十分体感できているんだけど、「別の領域」って感覚もわかるんだけど、

「自分=世界」への落とし込みというか、つながりが、もう少しできそう。ときどき、ふっと意識が変わりそうになる瞬間がある。なかなか定着はしないけど

「自分=世界」と、別の領域との関係というか、きっと、もう少し、先がある。

自分の過去ブログでいえば、「愛に包まれている」とか「自分の中にいる」という感覚

でも、ほんとうに、一番難しいところは突破していると思うので、ぼちぼちやっていけばいいんだけど。なんかまた、変化は起こりそう

ネガティブな気持ちには「わたし」が、くっつている

まぁ、「自分=世界」の体感のためには、「わたしをやめる」のが一番なわけだけど。

エゴは、過去に対して、リアクションをしている

「自分」だから「苦しい」

ほんと、その通り。

これまで、「嘘の世界」に、浸りすぎていた

「現実は嘘」メソッドに書いたように、自分をやめても、嬉しい気持ちは残る

「内側で叶っている充足感」と「自分をやめる」

両方向からのアプローチの継続で、もっと、「自分=世界」がしっくりくるような気がする

tonpei

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