なんでもある

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別の領域=意識、ということ、はまぁかなり前からわかってはいたんだけど、そこからもっと先に進めました。

「全部ある」、というより、「なんでもある」という感じ。

あと、「意識」自体が「愛」なのではなくて、「意識」は「みたいもの」を何でも映し出してくれる「映写機」で、「愛」をみたければ、「意識」で(なんでもあるところ)から、愛をみればいい、という感じ。

まぁ、たしかに(なんでもそろっているところ)と(意識)は分ける必要がないのかもしれないけれど、自分としては、そういう感覚の方がわかりやすかった。

(なんでもそろっているところ)は、リアルの現実、でもいいわけだし。

改めて読み直すと、サラとソロモンがかなりいい線ツイてる。


自己観察さんは、本当にいいこと言っているとは思うんだけど、最終的には自分の認識のブロックになってしまっていたなぁ。どうしても悟り系のニュアンスが強く出るのかな。願望実現の方法じゃない、みたいなことも言ってたしなぁ。

人生全体をまるっと「しあわせ」設定にしたい場合には、向いてるのか。

それとも、自己観察さんのおかげで、認識が進んで「既にある」がわかるようになったから、個別の願望に向かい合えるようになったのかもしれないな。

tonpei

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