「私」なんて、いない

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経緯はいろいろあったんだけど、週末あたりから、この記事がやたらと刺さる

チケット板備忘録のほうもあるけど、こちらの記事のほうが、なんか本質がつかみやすい気が・・・

私では無理…そう表現されてますが、私もそう思いました。
そこで疲れはてた私は、もう’私’を止めました。別に死んだ訳じゃありません(笑)

私はこういう人間で、コレが好きで、アレが嫌で、こういう歴史があって…
という無意識に設定していた’自分’から降りたのです。
‘自分’だからコレが苦しいんだろ?’自分’だからこれを望むんだろ?
他人は何とも思わん訳だ。なら、そんなの止めて、単なる意識を持った生物?になろう。

もちろん昨日、今日、明日を生きる私には、’私’の過去に基づいた設定がついて回ります。
でも、そのつど’いや自分なんていない。ただの意識。そう錯覚してるだけ’
と思い出し、自分と思っているコイツ(私)を見張る回数を増やしました。
すると、これまで知識として知ってはいた’今’しかないと気づいたのです。

あとは楽です。ただ私はいるだけですから。
もう、どうでもいい。何でもいい。好きにしてくれモード。 ‘私’なんていない。

そう本気で思った時、残されたこの意識は何なのだろう、と疑問に思いました。
すると見えてきました、感じてきました、見落としていた事に気づきました。
充足というやつに。

‘私’なんていない ー全てが錯覚なら味わいたい錯覚を選ぼう : Without the Mind

「私」なんていない、そう思うだけで、頭の中がすごくクリアになった感じがした。

「私」=エゴ=不足

「私」がいなくなると、「充足」しかなくなるから。

あと、「私なんていない」ってのは、「いま」しかないにもつながると思った。

自我幻マンさん

って、振り返って、「自我幻マン」さんにもこんな記述があったのを思い出す。

そもそも、なぜ願望実現で苦しむのかというのが、

前提に自分という認識、つまり自我があるからこそなんです。

不足や苦しみを感じる自分が居るからこそ、これが成り立っています。

そこには叶っていない「私」、苦しむ「私」、求め続ける「私」が必ず居ます。

そんな願望を求める、自我。

その根本的な部分がどうしようもないくらい、勝手に、受動的に、反射的に起きている

という事に気づけば、願望だけでなく、あらゆる思考感情に対して、

あれこれ悩む必要も意味も無くなります。悩もうがどう反応しようが、

そんなもん自我による後出しの反応に過ぎないからです。

【自我幻マン05】 「自分」というものを気にしないで良い事に気づく、自我の幻に気づくだけでいい | 潜在意識 珠玉のレスファイル集

こまけえさんで近いのは、これ。「ポイ」の感覚。

例えば上級国民の〇〇さんと付き合いたいと思った時に「あ、私は下級国民だから無理だわ」なんて思考が湧いてきます。もちろん下級国民なんてのはただの概念ですからセドナでも何でもいいので、ポイッとします。すると「それでも、私はブスだから無理」という思考が現れます。これもただの観念で、「美女と野獣」や「ブスとイケメン」なんていくらでもいるので(むしろ美男美女の方が稀。データはありませんが、人生の経験上)、これもポイッとします。そうすると今度は「あ、ちょっと気分が軽くなった。これで叶うかも」。はい、それもエゴの観念なので、ポイッ。「ちょっと、待ったらんかい。何のためにこんなことをしてるのよ」。それもエゴの勝手な疑問なので、ポイッ。「ちょっと待ってよ。なんで…」。ポイッ。ポイッ。ポイッ。ポイッ。

こうして行くと、徐々に自分という意識がなくなって行きます。するとなんだかこの現実だけを眺めている意識が残ります。これが自分=世界です。

自分が無くなれば、よく世界の全てが自分になるなんて言いますよね。「好きな人も嫌いな人も自分だった」なんて。皆さんもおそらくロジックでは理解できると思うんです。「主観が消滅すれば、対象を持てなくなるわけだから、そりゃそうなるだろう」と。でも体感ができない。機関車トーマスが自分自身だとはとても思えない。でも、これって私の個人的見解では、ただの慣れの問題です。

ずっと今まで一人の人間目線で生きてきましたから、世界に対して分離するようなバイアスが強くかかっているだけなんです。つまりそれを徐々に緩めていく、つまり上に書いた自分という意識を遠ざけた状態に長くいることで、あら不思議。あの人もこの人も、トーマスも自分という感覚を取り戻すことができます。というか、なんでそんなに進んで自ら分離してたんだとなります(エゴは分離してた方が快感や達成感があるので)。決してスピの才能とかじゃなく、継続、慣れなんですね。

認識の変更はただの慣れ説|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

疑うのは、「現実」「判断」

「自愛して心地よさにいないとダメ」という不足

不足を選ばなきゃ、充足しかない。

「認識の変更ができていない」という「認識」「判断」を変える

「現状」が「不足」という判断が間違っている。

「ない」を前提にしているのが、エゴ。むしろなんかもう、しゃべったら、エゴ

 「思考も感情も自分のものじゃない」となってきたときに、どんどん、、今にいられるようになる

 =自分はいない=充足しかない

tonpei

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