「お前は誰?」

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こまけぇさんの読者からのご報告、今回はめっちゃよかったです!

自分の決め手はエゴをただの反応として、重要視しないようにしたことでした。
こまけぇさんの記事で書かれている、認識の変更編でもエゴはただの鳥の声と同じと書いてあり、自分もエゴがごちゃごちゃ言ってきているときは、

まるで自己観察のような感じでしていました。
そうするとエゴが「自分の心の声」→「たまによく見るコンビニで店員にぶちぎれてる老害」→「イ〇ンで走りまわってうるさいキッズ」→「自分の家で飼っているすごいじゃれてくるペットの犬」ぐらいに不快感が減っていき、3か月ぐらいでこいつは俺じゃないのか、となってからは早かったです。
今はエゴってただの習慣だなと感じている次第です。なので根気よく暇なとき継続していると変わっていくと思うので、

とありきたりなことしか言えなくて申し訳ないです。

【読者様からの嬉しいご報告】~ 認識の変更(?)できました!~

詳細版も投稿してくれているど、前半部分だけで十分だった。さっそく、自分も活用してます。コメント欄で返信していてくれるのも参考になります。

過去何度も記事で書いてるけど、刺さる「言葉」が大事なんだよなぁ。このブログでも「自分はいない」系の記事もたくさん書いてきたけど、それよりも、「お前は誰?」の一言のほうが、エゴが一瞬でおさまり、ぐっと本質に近づける。

そして、今更ながら、2番目の「叶っていないという前提を当たり前にしている」ことにもハッと気づかされた。

「充足に浸る」という点では自分のほうが「ぺんたぶ」さんより認識が進んでいる部分もあるとは思うんだけど、自分でも気づかないほどにべったりとエゴが貼りついていた、一体化していたところもあり、そこがクリアになると、波もなくなるし、もっと自分の充足感も安定するような気はする。

あらためてこまけぇさんの記事

たまたま読み直したんだけど、いつも引用している部分以外のところで、大事なことが書いてあった。

まずは1について、余裕のある期限付きはそうでもないでしょうが、差し迫った期限付きではなかなかスピちゃんを活用するには難しい環境にあるかも知れません。スピちゃんの本義は、内面を軸にして現実からの干渉を受けないことですから、頭の中で秒針の音がチッチッチッチッと聞こえるとどうしても現実の情景に囚われてしまいます。そういう意味では、それらすべてを含め完全に思考を停止することは効果的かとは思います。

それを果たして、期限の迫った中でできるかと言えば、達人でもない限り難しいような気もしますが、もうどうしようもないという切迫した状況ならば開き直って逆にすんなりと実行できるかも知れません。

結局、期限という制約もエゴの小さな脳みそで考え出した最善に過ぎません。期限を過ぎエゴ的には一時の失望はあるものの、それがさらに次の展開を生み、エゴの想像以上のものが与えられたという展開もざらにあるわけですから、思考を止めスピちゃんに全てをお任せすればいいかと思います。

~略~

思考を止めれば、様々な諸条件、またそれが付属した願望すらも考えなくなるわけですから、結果がどうなろうと知ったこっちゃありません。ただ、気付けば充足に基づく何かしらの最善は得ているでしょうから、生き返るかも知れませんし、生き返らないかも知れません。またタイムリープについてもするかも知れないし、しないかも知れない。それでも自分なりに腑に落ちる満足な結果は得ることができるということです。

ですから、

それはすなわち願望を忘れるということでもありますので、願望を握りしめたままそれを実現の手段として捉えると、そのアプローチは邪道なものとなってしまう可能性がありますので、お気をつけください。

思考停止は実現の手段とはなり得ない!!|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

近況など

前回の状況は抜け出たものの、なんやかんや、いまだにエゴが大騒ぎすることはあるんですけど、もろもろ順調だと思います。ブログ書くことねーし、とおもって、放置気味だったんだけど、また、もう一段か変化が起きそうなので、なにかと書いておきたい。

毎回書いてるけど、過去記事も見直したい

tonpei

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