こまけえさんの「根本的な本質」系

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いや、ほんと、すごいっす。もうほんとに、これがすべて、的な。

さて、皆さまからのコメント欄でのお悩みなどを拝見していますと、ほぼ全てにおいて私が辿ってきたものと同種のお悩みで、ご病気をされている方を除きましては(私は大病の経験がないもので)基本的に私が経験しなかったお悩みや葛藤のパターンというものはないといった印象であります。つまり、私の中では皆さんのお悩みは一様に「あるある」なのでございます。ゆえに皆さんの誰一人として願望が叶わない特殊な性質を持った人間はいないわけです。

ただ、なぜ願望が叶わないかといった理由に関しては、もちろん私はその人自身ではなく内面状態を詳細に把握することができないため、その原因を私があれこれと判断することはできません。ただ一つだけ廃人の皆さまに共通して言える結論部分があります。それは、

願望が叶っていないと認識している

ということです。

まあ当然といえば当然ですが、願望が叶ったかどうかを判断しているのは自分ですから、その自分が叶っていないと認識していれば、「自分(認識)=世界」であるため、それは叶っていない世界ということになります。最近はあまりにこまごまとした記事が続いていましたので、久しぶりにサイトタイトルの如くシンプルかつダイナミックにいきますと、不足の感情が湧いているからとか、現実が理想に見えないからとか、そういったことが叶ってない原因ではないのです。ただ、あなたが叶っていないと認識している、それが根本なのです。

つまり、思考や現実などは叶っていないという認識を裏付けたいがためのエゴちゃんの言い訳であって、全ては結論部分の認識次第なのであります(何百回と言っていますが)。認識とは世界そのままです。在り方の前提を変えるとも言いますが、本当にただそれだけなのです、マジで。認識を変えた後にもしばらく何変わらぬ日常が続くかもしれませんが、その世界の認定(属性)は180度変わっているのです、マジで。

例えば、恋人が欲しい方でしたら、

恋人がいないと認識してる

恋人がいると認識している

難しいことはありません、こまけぇこたぁいいから、これだけであります。認識(在り方)に着目していれば、誤解を恐れず申し上げますが、世界の動かし方がわかっていきます。

https://komakeekoto.com/kanatteinai/

皆さんもおそらく理屈では理解されているのだと思います(それだけで十分なのですが)。引用コメントのリンク先の記事でも書きましたように、現実の出来事であっても認識(内面の処理)をして初めて現実だと定義できるわけであります。この場合、五感をトリガーとして内面に現実をトレースして認識しているわけですが、認識自体は本来、何のトリガーも必要とせず行われるものです。そして、その認識が全てなのであります。

そう考えれば、エゴにとっての最初で最後の砦は、現実(景色)が真実で、内面が妄想だという認識を如何に逆転できるかなのかも知れません。しかしこれは「アファメーション」など思考に叩き込むやり方がある様に、何も体感を必要とするものではなく(条件にならないように何度も言及しています)、ただ知識として持ち合わせながら内面を真実として在りたい自分で過ごしていれば、現実がそれに呼応していきますし、徐々に本来の主(内面)従(現実)関係が構築されていき、俗に言うところの「認識の変更」もなされていきます。

ただ、ここであえて漠然と体感的なことを申し上げますと、今このブログをご覧になっているスマホやパソコンなどの端末が目の前に「在る」かと思いますが、その現実における「在る」が内面の認識によって「ない」と否定されることはないですよね? これがある意味での偽りの主(現実)従(内面)関係であります。

この関係性が本来の主(内面)従(現実)関係に戻りますと、発着点が変わっても全く同じ現象が起きるのです。つまり、内面に「在る」と描いたものが、現実においても「ない」と否定できなくなるのです。もう少し表現を変えれば、現実に比重を置いていないので、現実における現象などは鼻から眼中になく、それによって認識が左右されることがないのです。

自分が何を根拠に「在る」と定義しているのかを探っていくと、何かに突き当たることがあるかも知れません。

https://komakeekoto.com/hiteisarenai/

この「そらそうよ」もすごい好き

「そら(願望実現とは一見、外側の現象を指しているように見えて、実のところは内面で願望が実現したと処理されて初めて願望実現が完了するということや)そう(つまり、現実がどうであれ、結局は内面の認識で全てが完結されてしまう。ということは現実なんて関係あらへんの)よ」

https://komakeekoto.com/somosomo/

この想像とはどこかで言いましたが実は創造であって、感じたことは即リアルなんです。この感覚は既にあるとかそんな感覚でしょうが、そんな大した感覚じゃなく、例えば皆さんでも好きな異性がいたらガチでその人と付き合ったり結婚したなりの感覚を味わってください。家にいるなら、その人が今トイレにいるとか詳細に想定して、ドキドキしてみる。で、そのドキドキに干渉してくる現実というものを排除するだけです。排除というか、現実という概念を解体して、看破して無効化する感じでしょうか。慣れて来れば、既にあると言われている感覚もごく自然な感覚であることがわかります。

https://komakeekoto.com/two-plato/

そうなんだよね~

「慣れ」も必要というか、当たり前の感覚なんだろうなぁとも思う

まずは 自分の設定を決めました。願い事は叶って当然。すべてうまくいく私。幸せすぎる私。などなど。願い事を細かく設定するより このくらい大まかな設定の方が現実に流されにくいからです。あとは 目の前の現実で 嫌な出来事に出くわしても 私はすべてうまくいくんだったと思い出して過程ブレないようにしました。気持ちでブレそうなる時は 言葉だけでもいいから そう発しました。願いはすべて叶うし、すべてうまくいく と。しなきゃいけないのは 前提だけブレないことで、やり方も感情も勝手に起こるネガティブな思考も関係ないと気づいたんです。それをしていたら 今まで自分が心配してた事は 心配な出来事を現象化させ、余裕でなにも心配してなかった事は なにも心配ない現象化を完璧に叶えていた事に気づいたんです。

願いは叶う というより、そうだ と思ったそのままだったんだ!!と、心底気づけたんです。

願ってもいいだ!欲してもいいんだ!よく、願って手放せ言うけど それができずに苦しんでいたけど、手放せなくても関係ないない!だって 水だって 飲みたい!!を手放さなくても飲める!と、気づいたんです。やり方なんか関係ない!せっかくの知識を逆に自分に ああしなきゃ叶わない。こうしなきゃ叶わないと ややこしくしてただけだったと気づいたんです。

https://komakeekoto.com/aisan/

この抜粋は、あいさんという方の実現報告だけど、

「そうだ と思ったそのままだった」・・・この表現もすごいなぁ

tonpei

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