解放と開放

最終更新日

Comments: 0

あ~~~
なんかわかってきたぞ。

「個人」=「エゴ」=「精神的な活動」とばかり思っていたけど、一番の個人の象徴である「肉体」も幻想なんだな。過去記事検索すると、普通に「肉体」の記事も書いてあるんだけど、完全スルーしていたというか。

「完璧メソッド」関連を調べてて、こまけぇさんのわりと初期の記事がいろいろ刺さった。

このように「自分=世界」を百裂張り手の如く読者の方々に散々叩き込んでいるのですが、生まれてこの方、背負い続けてきた「自分=自己(個人)」という意識の在り方はそう簡単に下ろすことができないのもまた事実でございます。

その主因としましてはやはり「肉体」であろうと思います。いつも視界にある肉体は、五感や思考を相棒に常に私たちに自己という認識を強く強要してきます。しかし、よく観察してみればわかるのですが、本来は「肉体」「五感」「思考」というそれだけであって、「私の肉体」「私の五感」「私の思考」ではありません。これら3つも関連付けなければ、ただ「在る」だけのニュートラルなのです。

では、肉体という根拠を失った自己はどこへ行ってしまったのでしょう? そうです。そもそも自己なんてなかったのです。しかし、あなたの意識は確実に存在しています。どうして意識があると認識できるのでしょうか? それは

世界(景色)があるからです

世界が在るから認識が在る。認識が在るから世界が在る。故にデデーン!!

「自分=世界」

このような認識になれば、目に見える全てが自分ですから、肉体だけが自分というエゴの制限がなくなるので、あの人やあの車、ジオラマに触れるような気軽さで意図すれば、そのように動いてくれるのです。

ジオラマに触れるように世界を動かしてみる|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

もうだいぶ頭がおかしいレベルになってきているので、「自分は肉体ではない」(肉体がない)みたいな概念はわりとスムーズに受け取れる

で、肉体から自由になった感覚があると、精神的にも、すごく解放感がある。

まず、自分が「エゴ」によって制限された「個人」ではない、という立ち位置で、「自分」=「世界」の感覚になじみやすい

そのうえで、「自分」=「世界」の状態だったら、

「自分」が「幸せ」認識(=属性)だったら、

「世界」=「幸せ」になり、

世界の中にいるエゴとしても、個人として、幸せを感じられるようになるわけだ

「自分」=「個人」の状態で、「自愛」をやっても、現実が大して動かなかったのは、自分にとっての「個人」という「制限(枠)」が強すぎたってことだ。

個人としての思考(記憶)で制限された「現実」を見て、個人の肉体が何かやろうとするから、現象化も限られた範囲だし、そもそも、内面での「実現」にも制限がかかっているということだ。

っていうか、既に「幸せ」だったり「完璧」になっているんだけど、エゴ視点だと、見えないだけなんだ。

っつーか、エゴというよりも、これを書いている「tonpei」という個人はいない、ってことなんだ
だから、個人の記憶関係なしに、どんな意図も実現も可能なんだ

自愛の意味合いも変わってきそうだな~
自分が自分じゃないほうが、自分を愛せる・・・ってなんかへんな感じだけど。

「不足」を握りしめていた「自分」から解放される安心感があるというか。

正直、7章を何度読んでも意味不明だったんだ。
そこでisaさんの自愛に出会った。どんな自分でもヨシヨシしてやれ、と思ってもなかなか厳しかった。
それでもくじけずに自愛に専念した。そしたらふとある日思ったんだ

「自愛=どんな自分でもまるっとOK=自分を解放してやるってことじゃね?」

自愛は条件付け、関連付けの放棄と同じことなんですよ
「今の境遇はこうだから○○を達成できない」ってあらゆる制限をかけていたのは
自分だって気づいてから、ああここが7章なんだなって分かった。

自分にあらゆる条件を外すとどうなるか?
そこには本当に、完璧、愛、安心安全しかありません。時間の概念もありません。
桑田さんの仰っていた「自分自身がワクワクさん」だったんです。

とにかくあらゆる制限を外して、自分を自由にしてあげて下さい。

7章に達すると、願望はただ単純な「意図」にしかならない | ザ・チケット板☆備忘録

なんていうんだろ、願望実現とは関係なく、

「この悲しみをなんとかせねば!」「この苦しみをなんとかせねば」と、

「意識」が「エゴ」を掴んで離さないところがあるんだ。

「不幸」なエゴを、ほおっておけない、自分がいるんだ。

そこが、個人としての自分を手放せない最大の壁のような気がしてきた。でも、残念ながら「不足」を演じるエゴに構えばかまうほど、「不足」のストーリーは続いてしまうんだ。

だから、エゴからはもう解放されて、意識は自由に開放させてあげればいいんだ。

エゴではなく、意識に対して「もう苦しまなくていいよ」ってことなんだ。

そうすれば勝手に、ワクワクになる。開放感が出てくる。

だから、エゴが握りしめている不足を手放せる「現実は嘘」メソッドも、解放感を感じられたんだ。

一言でいえば、「脳内お花畑こそ真実」であるし、「もう難しいことかんがえるのやめよ」ということでもある

tonpei

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする