全部エゴのまやかし

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現実の重要度を下げる

そんな難しい話じゃないんだよな・・・

というか、いちばん大事だったのは、

「現実の重要度を下げる」ということだろうか

それが、自分にとっては、「嘘」というキーワードがつながりやすかったんだけれども

それがないと、「自分=世界」を前提するとか、「エゴ」と「意識(=本当の自分)」の理論がいくらわかっても、

「現実様に現象化していただくために、内面をコントロールをする」

というところから逃れられない。

「願望を手放せない」

「現実の重要度を下げられない」原因の別の側面が、「本願」というような、これだけは絶対叶えたい!という思い。

自分の場合は、本願が恋愛だったから、余計にわかりやすかったんだけど、「彼女と付き合いたいという想いを手放したくない」みたいなところ。「全ての願望なんて叶わなくていいから、この本願だけは叶えたい」というような思いが、強烈にエゴを存続させる。

もはや、エゴと本願(という名の不足)が一体化していて、本願を手放せない=不足を手放したくない、という形になっている。

チケットを信じていろんな実践をしているはずなのに、チケットを信じていない。

ただ、それも「エゴとしての自分」が彼女を好きになったわけではなくて、別の領域で実現しているからこそ「願望」という形で浮かんできたんだから、そんなの叶ってるの百も承知に決まってるだろ、という。

いい形

自画自賛気味ではあるけど、「この現実は嘘塗れ」という認識が、非常に自分に合っている。

「この現実は幻想」という言葉を受け入れようとすると、「じゃあなんでこんな幻想なんだよ」ってエゴが納得しないけど、「この現実は嘘」という言葉で、エゴ自身が崩壊し、「真実」があぶりだされる。
その時の、ふぁ~っとした、自分が解放されるような感覚、これが大事なんだろうな。言葉で言えば、安心感になるけど。

その時の「内面」の感覚というか・・・内面というか、エゴが薄れてると、内面しかない、って感じなんだけど。

こまけぇさんのこの記事の感覚に近づいていってる気がする。まさに「感覚がなじんできてる」って感じ。

観察や許しを行っているうちにその立ち位置にだんだんと意識が馴染んでいき、思考や感情に対して逆に同化することができなくなっていくのです。

全自動エゴに惑わされて、自分を責めないこと。自分に寛容になる。優しくなる。すると自ずと優しい世界が広がっていく。そんな単純な捉え方で十分だと思います。

https://komakeekoto.com/gobusata/

「不足に同意しない」とか、「エゴを採用しない」って、エゴ塗れの最中にいきなりは無理だよね。こまけぇさんの「同化することができなくなっていく」というのも、すごくわかる気がする。

最近妙に思い出すチケットの文章

これも自分が「嘘」認定するときのニュアンスに似てる。具体的に特定願望をやってるわけじゃないけど、内面的には同じことをしてる。

あなたが何かを手に入れたいと考えたとき、従来の思考習慣が働き始めたら、即座にストップしてください。そして、こう考えます。

「手に入れる必要はない。それらは既にあるのだ。私が今まで何を考えてきたか、何をしてきたか、何を感じてきたということは全く無関係に、私はそれを得ている。それを認識して良いのだ。だから、それを認めよう」

「今この瞬間、私が何を考えているか、何を感じているかとは関係なく、私はそれを既に得ている。だから、それを感じよう」

チケット

おなじく、「”分離”してる」って言葉も最近思い出すなぁ。

その他参考記事

あと、現象面で、「エゴに騙されなければ、そのままうまくいってたんじゃ・・・?」と思うことが続いたのもある。だから、こちらの「受け取り拒否」の内容が染みる

全て叶ってるから別の領域は幸せを送ってくるんです。

でもエゴと一体化して幸せの受け取り拒否をしてるんですよ。

だからチケットでは幸せを感じる事に
条件をつけないようにと書いてるんです。

今既にある幸せを感じ始める(受け入れる)事が
受け取りを許可する姿勢になるんです。

~~~
現実が主であなたが従という考えでいる限りは
起こった事に振り回されるだけになります。

結局願望実現の為にやってるから振り回されるんですよ、
自分が主なら従である現実に起こる事に振り回される必要はなくなります。

現実とは関係なく幸せを選択し、幸せな存在(主)である時に

従である現実はそれに従った物になります。
最初からその観点で話してます、だから叶える為にやらないでって
言ってるんですよ。

あなたが現実の従として振るまうなら、現実はずっとあなたを振り回します。
だからそれを立ち切って違うスタンスを取り始めないといけないんです。

従に振り回される存在じゃなくて、自分で経験を選べる主体にならないと何も変わりません。

今既にある幸せを感じ始める(受け入れる)事が、受け取りを許可する姿勢になる。 | ザ・チケット板☆備忘録

最近はちょっと離れていたけど、天寿さんの記事も引用しておきたく。

自分と調和していない=エゴと調和している、ということだ。

嫌な気分の時は

「今、私は自分と調和していないんだな」

「だから嫌な気分を感じているんだな」

とアンカリングする。

気分と関係しているのは

現状(出来事)ではなくて

自分との調和(周波数・波動)です。

このことが本当に分かってくると

現実(外側)をなんとかしよう

とする事が無くなります。

無敵モード=自分との調和 | 天寿のハッピーパーソナリティ~吐き出しの法則で人生を明るく楽しく暮らしちゃおう~

「幸せ、安全、安心」が本当で、「不幸せ、あせり、不安、不足」は全部嘘です。
嘘が沸いてきても、相手する必要はありません。無抵抗でおながいします。
私はここでつまづいたのですが、私たちのベースは、「幸せ」なんです。
そっちを向いてくださいませ。

SZ1式01 「幸せ、安全、安心」が本当で「不幸せ、あせり、不安、不足」は全部嘘 | ザ・チケット板☆備忘録

んでもって、今日は「エゴのまやかし」という言葉が思い浮かんだんだけど、桑田さんの言葉だった。「まやかし」という言葉は、「幻想」ってイメージだけでなく、「ニセモノ」って意味もあるから、ぴったりだ。これも何度も何度も書いてるけど、桑田さんの記事も以前よりわかってきている。

エゴの嘘が暴かれた、その先が見えてきた気がする。

何度も書いてる気がしますが、全部エゴのまやかしです、それに気付けば良いのです。
エゴストーリーと本当の自分には何の関連性もありません、
本当の自分は連続ストーリーを眺めているだけで、ずっと静止しています。

文章で書くと誤解を招くかもしれませんが、「豊かさ」や「愛情」といった感覚も
感じようと思えば感じられるはずです。エゴが勝手に話を進めても、本来関係ないのですから、
それによってそれらの感覚が妨げられる事はありません。

なんで「豊かさ」あるいは「愛情」という感覚を感じられるのにわざわざ
「何々をしなければ何々を得られない」あるいは「いつか、そのうちに」とか
「もっと優れたメソッドを」とか「桑田の顔になれば・・・」とかのレッテルを貼るのですか。

感覚を感じられるって事は「在る」から感じられるわけですよ、
無かったら感じられるわけ無いですよね。

花を見て美しいと感じられるのは花が美しいのではなく、あなた自身が美を持っているからです。
お金を見て豊かさを感じられるのは、あなた自身が豊かだからです。

世界は常に自分自身です。
ですから最初からおきあがりこぼしのように完璧なバランスがとれているのです。
おきあがりこぼしを立たせたかったら、あれこれ押したり引いたりせずに
「何もしない」のがベストなのです。

桑田式05 「在ると感じている」ものしか自分が創造している世界には現れない | ザ・チケット板☆備忘録

「ある」、と、「ない」がわかりやすい記事

>エゴには叶える力なんてない、というのに
どうして意図を取り下げたり、 現実化を阻む力はあるのですか?

エゴとそれ以外では、現実化の概念が違う。

エゴだと’ない’が前提じゃないと’ある(叶う)’が成立しないけど
エゴ以外には’ある’しかない(‘ない’がない)ので、
‘ない’ように見えているのはエゴを採用してるから、ということになる。

で、’ないから叶えたい’というエゴの視点を採用してる限り、
(エゴは分離属性で、’ある’か’ない’という結果を得ることになるので)叶ったり叶わなかったり
それは手放ししようが諦めようが、エゴ視点の願望である限りはそうなる。
ただ’手放す’ことで、分離の視点(不足から欲するという思考)がなくなりやすいので
叶いやすいんだと思う。

エゴは叶える力はないけど、’ある’を’ない’ように見せかけることが出来る。
意図を取り下げたり、現実化を阻む力はある のではなくて、
意図を取り下げたように見せかけたり、現実化を阻んでるように見せかけたり出来る。

だから’叶ってない’ようにしか見えないのは、エゴに騙されてるだけ。

手放し、諦め=コントロールをしない ー望まない思い込みに捉われないために : Without the Mind

tonpei

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