こまけえさんの「不足を疑う」系

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つまり「どうしてこれが叶った世界なんだ?」ではなく、「ここは叶った世界。でもエゴはどうしてそれを知覚できないんだ?」という探究心を持つようなアプローチです。

皆さんは達人の言葉の通りに世界を見たいはずなのに、いつもエゴの主張の肩ばかりを持っていませんか? それって裏返せば、不足を見たくて見ていることなんです。エゴって本当にドMなんですよね、再三言っているように。

そうじゃなくて、とりあえずは初めから達人視点で捉えてみる。その上で、エゴのバグの原因を自分なりに考え、ダメ出ししていけばいいんです。するとエゴの正体(虚構性)が違う角度から掴めるかも知れません。

立ち位置の問題です。とりあえずは初めから達人視点で捉えてみる。生活の中でエゴを真実とせず、叶っているを前提(立ち位置)として、その中で湧いてくるエゴをバグとして眺めてみる。エゴに囚われるのでなく、なぜエゴはそんな解釈をするのかと問うてみる。そろそろエゴには説教を垂れてやりましょう。

https://komakeekoto.com/ego-bug/

この思考の習慣こそが自己の正体で、この習慣とはほぼ不足の習慣ですから、つまりあなたという存在、潜在スピ子という人間そのものが不足の権化なんです。

故に自分(自己)を止めれば、不足も止まって充足しかなくなるので、逆説的に不足の習慣を改めて行けば自ずと既存の自分も消え、新たな自分が現れて来ます。それが本来の自分やら別の領域やら色々と名付けられているものです。

https://komakeekoto.com/shukan/

tonpei

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