桑田さん参考記事

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そのほかの桑田さんの気になった記事をのせておきます。

内面の意図が即、外部(と思っている)に投影されるわけですが、
これは結局のところ宇宙は最初から自分であり、最初から何もかも用意してあったという事です、
もっとくだけた言い方をすれば「ぶっちゃけ最初から幸せだった」という事であります。

ですから「内面の投影どうのこうのはわかった、じゃあ願望はどうすれば良いんですか!!」とか
同じ所を廻ってしまう方は、とりあえず「最初から幸せ」を意図すれば良いんじゃないと思います。まあ実際はその「意図」も勝手に湧いてくるものですが、この辺を言い出すと切りが無いので端折ります。

さて、「幸せ」を意図したとします。
するとソッコーで内面が投影されます、このブログの文字色が黒なのも、私のHNが「知らん」なのも、何故かプロフの画像がアニメキャラなのも、あなたの内部で、というよりあなたが幸せになったので
投影されたのです。まさに「幸せ」であるあなたが作り出したのであります。

ぶっちゃけ幸せ

完全な意識として在ると、「取っ掛かり」が存在しないので、結局の所は満たされてしまって
いるのです。
満たされてしまっているので、満たされた事が投影されるわけです。

「実現」とは「足りない何かを得る」のではなく「実現していた」事に気付いていく事なのです、
歩いているときに「そういや歩いてるよね」とふと気付くのに近い感じです。
つまり「意図してるんだけど、意図してる事に気付くのは意図した後」
なのであります。

願望実現ダークサイドムーン

全ての事は状況や刺激を取っ掛かりにして始まります、そしてその始まったものに対して
「私が考え、私が行動しているのだ」というエゴが出てきて、苦しみ(不足)が始まります。
ですから全て何らかの取っ掛かりからなのだ、と気付けば「物事が起きているんだけど
起きていない」状態となります。そこには苦しみはありません、満たされているのです。

自分の肉体と思っているものですら「取っ掛かり」から始まった幻想です、
「肉体があるが、肉体が無い」状態です。そうすると「満たされた世界」との
強烈な一体感があり、というよりそれ以外無い状態になります。

内面が満たされている状態で、「満たされた世界」=「自分」は勝手に動いています。
満たされているので、満たされた事が勝手に投影されていきます。

満たされたでござる

昨日も書きましたが、何者かが心の「声」を聞いているというのは結構ポイントです。
この「声」を音声処理する前、つまり得体の知れない「何か」が湧き上がって来る場所こそ、
本来の自分が居る場所です(多分)

この湧き上がってくる「源泉掛け流し」に常に居る、ということは何か湧き上がってきたときに
最も適切な行動を取れるという事でもあります。昨日のボディワークの話で言えば、重力を感じているからこそ、スポーツなどで、その場その場で適切な動作が取れるのと同じ理屈であります。

もちろんこの「適切な行動」とはエゴ視点から見た場合の話です。
実際は「行動している」とかいちいち判断しないでしょう、虎や熊に追いかけられたら何も考えずに
逃げるのと同じです。

源泉掛け流しに居るという事は、つまり心の声(らしきもの)を思考やエゴで肉付けする前の
段階に居るともいえます、つまり「もうだめだ」という”言葉”は思考で「もうだめだ」と
「心で喋っている」と判断した時点で初めて「もうだめだ」となります。

そしてエゴが「私」は「もうだめだ」とさらに判断し、ここで初めて「私はもうだめだ」が
エゴにとっての「真実」となるわけです。

実際は「もうだめだ」は湧き上がった時点では「%&#$=」みたいな記号というか、
発射される前の波動砲のようなものであります、それに思考が目に見えている状況やその他で
勝手に判断し、「これは、”もうだめだ”である」とし、それをエゴは「心の声」として知覚するわけです。

しかし、源泉掛け流しに居れば絶対の「真実」など無い事に気付けます。
全てのものは何だかわからないチャージ中の波動砲っぽいものだったのであります。
そこに居ることで初めて世界の創造というものを垣間見えるかもしれません。

寸止め波動砲

tonpei

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