ギリギリモヤモヤ

いや、しかしほんと、表現が難しい

もう、根本的なとこにいると思うんだけど・・・

単純に、思考しないで、内側の「感覚」に身をゆだねる
 → その時に、モヤモヤの感覚が邪魔をする。

とも思うんだけど、そもそも、「現実」自体が、「幻想」なんだ。
これまで、どれだけ不足を見ていたか?ということ。

「内側だけ見ていればうまくいく」って結論なのに
なんでいつまでたっても、現実にしばられているんだ??

「現実なんてど~でもいい!!」って割り切りが出来てないってことか
それが、「命綱」的なところかも。

不快な感覚

いや、ちがう。

現実ってよりも、この不快な思考や、不快な感情や、不快な体の感覚だ。

「自分って、誰なんだ?」って問題なんだ。

映写機の意識を妨害するのはなんだ?

エゴとの同一視から、愛との同一視へ

って、これ自体が・・

自分とつながっていない、という「不足」

感覚を、まとめきれていない、という「不足」

あるは、ある

感覚を味わえなくても、あるものは、ある。

幸せに浸れなくても、あるものは、ある。

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