全ては自分の「認識」である。

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こまけえさんのこちらの記事がきっかけ

「認識なしには、そう在れない」という一文がきっかけで、

自分=世界がわかった、

「意図しても叶わない世界」を認識していたのは、誰だ?って話

おれは・・・馬鹿なのか?と本気で思った。

若干ニュアンスが違うけど、このブログ中の画像はいい

認識している私を認識

で、そのあとで、こまけぇさんの記事を1から読み漁り、補填してった。

で、そこから、もうちょっと理解が進んだ。

この記事もすごくよかった

全部、思考で突っ切った方がわかりやすい!?|こまけぇこたぁいいから、願望実現しようぜ!

認識の変更

変えるべき内面は、思考や感情じゃなくて、「認識」

「内面」=「在り方」(立ち位置、前提)=「認識」

「彼女と結婚してる」とかでもいいけど、ざっくり、「幸せ」や「充足」「愛」とでも、認識すればいい。

「認識」(在り方)から生まれるエゴに、自由意志はない。

「認識」に「外側(現実)」も「内面(思考・感情)」もない。

まだそこまでいかないけど、「在り方」と「既にある」は、同じ理解でいいような気がする。

「不足」の思考・感情

感情ナビゲーションと、近い感覚だけど、

「不足」がわいてきたときに、消そうとか、スルーしようとか、ダメなんだよね。

「どういう在り方」をしているから、その「不足」がわいてくるのか、元を絶たないといけない。

だから、いつまで自己観察やっても(別の領域に浸っていたとしても)、ダメ。

元の認識が1mmも変わってない。

tonpei

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