ホーム > エゴの性質 ジャッジしない 「ジャッジしない」という立場に立つからこそ、自己観察ができる 「バックをとる」と同じことだけどね。 ジャッジは、自動的に繰り返し起こるリピート再生のようなもので、厳密にいうと自分が考えたことではないからです。ジャッジだけに限らず、思考自体がそういうものですが、とくにジャッジは自分の声を聴く妨げとなります。 起きた現実を流す、という表現も素敵 カテゴリー:エゴの性質 タグ:自分はいない自己観察 tonpei 前の投稿 4日目 エゴまみれ 次の投稿 5日目 やっと復調・・・と思ったら 関連投稿 認識の変更 その「反対」が指し示すもの 認識の変更 嘘まみれの世界の底に 日記 28日目 ノートに書き続けた意味 認識の変更 「私」なんて、いない 認識の変更 現実からの解放 実践 すてきなセパレーション コメントを残す コメントをキャンセルメールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目ですコメント ※ 名前 ※ メール ※ サイト 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。 コメントする 前の投稿 4日目 エゴまみれ 次の投稿 5日目 やっと復調・・・と思ったら