別の領域からの自愛

別の領域からの自愛、でおしまい。

私の場合は、この自分を観察してる視点が別の領域だって気づいてから、
意識的に「ここは絶対安全で完璧な場所だ~」って感じでよく浸ってたw

それ(絶対的安心感)は観察している立場の自分に気づいたときにすぐ感じたものでしょうか?
それとも初めは意識的にそう思うようにしていたでしょうか

自分もやってみたのですが安心感までは感じられないのです
落ち着いていて静かな印象の自分という感じ…?

685 :もぎりの名無しさん:2011/02/22(火) 01:36:56 ID:psg5Ebes0

>684
>落ち着いていて静かな印象の自分という感じ…?

それですよー。
その静けさに留まってると、エゴにとっては不安定なかんじじゃないですか?
私も慣れないうちはエゴのほうが優勢だったので、安心感より居心地悪さを感じでたよ。

知識での理解が先だったので、「安心感を感じた」というより、
「ここは絶対安心があるんだから、それ感じよう」って、積極的に感じようとしてた。

個人的な感覚で、なんとなくなんだけど、
エゴがおしゃべりしてるときって、意識が頭にいってるかんじで、
別の領域に留まろうとすると、ハートのあたりに意識があるってかんじがあるんですけど、
ハートにあるイメージで、その領域を感じてみると、安心感を感じやすいかも。

>684
>落ち着いていて静かな印象の自分という感じ…?

静かで、何もない、何も起こってない。

でも「あらゆる可能性」とか「既にある」とか「愛」「完璧」「無限」。。。
別の領域の属性っていわれてたものが、そこに全部あるよ。

「絶対的な安心感」でもいいけど、自分にとっていちばんしっくりくる言葉で
感じてみるといいかもしれないね。

そもそも「認識の変更」って何なのかというと、それは
「今の自分でいいんだ」ということに気づくことだったりする。
どこに行かなくても、何も変わらなくても、このままの自分でよかったんだー!
と、心底腑に落ちることです。

現実を「なんとかしよう」とするエゴを超えて、今の自分のままで完璧なんだと深く理解することです。

でもエゴからすると、「何も現象化されてない今がいいわけないじゃん!」ってなるよね。
エゴは「~~しよう」というのが本質なので、もっと良い状態、もっとすばらしい自分に
「なろう」として、その方法を探し続けてる。

そして、探し続ける限り、それは永遠にループしてく。
「認識の変更」が行われない限り、私たちは永遠に探し続けることをやめられない。
その認識の変更を起こすために、isaさんは「ありのままの自分を愛せ」とおっしゃってたんだと思う。
私は自愛がうまくできなかったから、ダイレクトに別の領域に浸ってたんだけど、
そのおかげで認識が変更できた。深く体感できたことで、別の領域にある真実を
エゴの幻想に引き渡すことができたんだと思う。キモはやっぱり、体験に基づいた理解と信頼です。

本当の自分とは、エゴで認識してる「足りない」と思ってる自分ではなくて、
別の領域に存在する愛とか完璧とか充足こそが本当の自分だったんだ
と腑に落ちたら、気がついたら人生の流れが変わってた。

721さんが今感じてる不安は、どんなに強力そうに見えても幻想にすぎないので、
それはただ消えていくしかない。そして、世界の美しさや軽やかさ、そういったものを
感じられる現象が起きてきて人生の流れがスムーズになっていくよ。

自己観察式 02 認識の変更とは 「今の自分でいいんだ」 という事に気づくこと | ザ・チケット板☆備忘録


コメント

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